2012年6月7日木曜日

ドッペルゲンガーについて 自分のドッペルゲンガーに会ったら死ぬっていうのは、 ...

ドッペルゲンガーについて

自分のドッペルゲンガーに会ったら死ぬっていうのは、



自分のドッペルゲンガーと会う

→自分が二人いる、これはあり得ない事だ


→だからどちらかが消えないといけない

→自分が死ぬ



ですか?



クラナドって人気ゲーム(アニメ)でも、似たようなのがありました



風子(ドッペルゲンガーに値する)は生き霊で学校でみんなと話したりしている

しかし本物?は病院で寝たきり

→風子(寝たきり)を見た人、知った人は風子(生き霊)の事を忘れてしまう

→これは風子(生き霊)は(言い方が悪いですが)あり得ない、存在してはいけない存在だから



↑のように、(言い方悪いですが)消えるべき存在はドッペルゲンガー(生き霊)の方です

なのに、何故オリジナルが死んでしまうなんて話が出てきたんですか?







自分の姿を見かけたときには自分自身が霊魂となっていることに気づいていないだけだと思います。



見たら死ぬのではなく死期が近いから抜け出てみているのだと想像します。



幽体離脱は眠っている姿をみるのでドッペルゲンガーとは別だと思います。



生霊は他人には見ることはできても本人は見られない現象で、これも



ドッペルゲンガーと別の現象と思います。








ご質問で言われるように「どちらかが消えないと」という話は、alakamuさんもご指摘の通り、

「ドッペルゲンガー」といわれるものとは違うと思います。

ドッペルゲンガーは、確かに「もう一人の自分が現れる」ものですが、

その「もう一人」の方が、引き続き、あたかもオリジナルであるかのように存在し続けるものではありません。

ドッペルゲンガーは、あくまで



本人がいるのに、もう一人の姿を見かけた

(目撃者は「本人自身」をも含む)



というレベルの話であり、

たいていは、目撃された「もう一人」は消えてしまうものなのです。

(少なくとも、その後も平然と存在し続けるなどということはないはず。)

「オリジナルが消え、もう一人が残って入れ替わる」みたいな話は、

ドッペルゲンガーから着想を得た、新手(?)の話だと思いますよ。

ちなみに、「ドッペルゲンガーを見かけたら死期が近い」というのは、

これまたalakamuさんご指摘のように、

「一時的に体内から霊魂が抜け出ちゃう」(→死期が近い)みたいなことも考えられますし、

また、現実に、脳機能の障害によって「自分が自分でなく、もう一人いるような感覚が・・・」というケースもあるそうなので、

この場合「脳機能障害→死期が近い」ということも考えられるとのことです。

(こういう現実的な事例の蓄積から、「ドッペルゲンガーを見る=死期が近い」という言い伝えが生まれるようになったと、そういう考え方も成り立つわけです。)

以上、私見に過ぎませんが、ご参考まで。







昔からの伝承で、自分の姿を見た者がまもなく死ぬというものがあったために生まれた話のようですね。

以下のWEBページが参考になります。

http://psychodoc.eek.jp/abare/dopel.html

0 件のコメント:

コメントを投稿