2012年6月11日月曜日

クラナドのアニメ中盤までの疑問点。(長文、ネタバレあり注意) 詳しい方回答お願...

クラナドのアニメ中盤までの疑問点。(長文、ネタバレあり注意)

詳しい方回答お願いします。

ジャンル的にあまり自分に向かない気がして敬遠していたのですが、

知り合いに強く勧められて最近見始めました。

原作もやっていません。



「泣ける話」

「家族の絆とか」

「ヒロインが病気で死んじゃう話」

「単なるお涙頂戴モノではない」



人から聞いたり、ネットでの評判とかで見る前のイメージはこんな感じ。





で、今DVD5巻まで見たのですが、どうもひっかかる部分があって入り込めない。



その1 風子編

風子がだんだん周りから忘れられていった理由がわからない。



実体の無い存在だから忘れられていくのが自然な流れ、というのは解る。

だったらそもそもなぜその前にあんなにたくさんの人に認識されたのか?



自分の解釈では「お姉ちゃんの結婚を祝いたい、力になりたい」

という風子の想いがみんなの心に直接訴えていたようなイメージだったんだけど

もしそうだとすると

「関わりの浅い人から順に忘れられる」だと

「風子の想いがだんだん弱まっていく」につながってしまう。

風子の想いは姉の幸せな姿を見るその時まで

一途に続いているハズだからどうも矛盾する。



「眠っている風子の容態の変化」がきっかけなら

突然だれも風子を認識できなくなるとか

存在が途切れ途切れになるとかならわかるんだけど

このへんうまく説明できる人いますか?

あるいは最後まで見れば納得できるのかな?





その2 ことみ編

ことみが庭がきれいになるまで引きこもっていたのってなんで?



ええと、バスの事故を見てトラウマがドカンとなったんだよね。

それは解る。

で、その後の展開は朋也視点で見れば

「ことみの為になにかしてやりたい」



「なんとか誕生日までに」



「なんとか間に合った」



「ことみキター」

ってなるんだけど

朋也や友人達が庭先で汗水たらしてるのをカーテンの隙間からチラ見してて

作業完了してから姿を見せることみの心境の変化がどうもわからない。



なんかアレだとことみにとって

「友人達が自分の為にと何かしようとする姿」よりも

「庭が昔のようにきれいになる」

事の方が重要だったのか?と思ってしまう。



その3 この先

見る価値ある?



風子編で少しジーンとはしたけどなんか製作側の

「ホラ、こんな演出、泣けるでしょ?」

的な意図が見えて素直に楽しめなかったり

ことみ編のラスト?の方で

「アタッシュケース旅しすぎだろww

誰が拾ったらそんな何カ国も渡り歩くんだよwww」

と吹いてしまった私は、この先楽しめると思いますか?



グレンラガンではボロ泣きしたんだけど。







その1について



風子自体、風子の意志そのもの。でもそこには実在しない。風子の強い意志が、風子自身成すべきこと(姉の結婚を祝ってもらうための人を増やすこと)を成させるために、霊魂のみを学校に移した。(しかし風子は覚えていない。風子自体、意識せずに起きたこと。)霊魂とは、人間の脳が一瞬の間に「そこにある」と認識したときに目に映るもの。最初、学校の人は「女の子がそこにいる」ように見えた。しかし、現実にはそこには「風子の意志そのもの」しかない。よって、日がたつにつれて、多くの人は「女の子がそこにいたような気がした」と自己の錯覚であるかのように思い、気にも留めずに忘れていってしまう。風子と関係の深い人ほど、風子の意志が見える時間が長くなるため、当然風子を認識できる時間も長くなる。(風子の意志の強さはこの際無関係。むしろ、風子の意志に対する理解が関係すると言える。)

ちなみに、風子の存在が段々忘れられていくのは,風子の呼吸停止の時期と機を同じにしています。公子(風子の姉)は最初から病院のベッドの上で寝ている風子の姿(肉体)を見ているので、風子の霊魂(精神)は見えません。原作にこんなセリフがあります。

【春原が風子を忘れたときの朋也のセリフ】

(朋也)『これは,つじつま合わせなんだ。不自然なことは,なかったことにする。そうすれば,すべては自然に戻る。そういうことなんだ。風子がこの学校で過ごしていたという事実は,みんなの記憶から消えて・・・そして,風子はいなかったことになる。』



つまり、風子の肉体を一回でも見た人には彼女の精神(霊魂)は見えない、ということです。ある意味、風子は夢のような存在。皆夢から覚めると、その時のことは覚えていない。風子も夢そのものと言えます。

補足として、風子はエピローグにも出てくるような重要な存在です。まだあれで終わりじゃありません。



その2について



ことみは両親が死んだときのことを思い出す。(両親の乗った飛行機が墜落したこと・それは父親の机の上にある書類のようなものが原因であると思いこみ、それに火をつけて燃やしたこと)→衝撃に耐えられず、ひきこもる。→朋也は、ことみを元気づけるために庭をきれいにする。(庭とは、ことみの嫌な思い出の象徴。)→ことみは、そのように朋也が努めている姿・他の友人の思いやりのある姿に感動し、少しづつ心を開き始める。→ことみは、両親が最期まで自分のことを思ってくれていたことを知る。・・・・・・→ことみのエンド



その3について



見る価値ありますよ。そもそもCLANNADは渚がメインのお話。「それ以外のヒロインはサブ」ときっぱり言えます。渚以外のヒロインの物語も、渚と朋也の真のエンドためにある・・・・?と言ってはネタばれになるかもしれませんが、・・・とりあえず見る価値はありますね。学園での物語の間に見られる、「幻想世界」(少女とロボットだけの世界)も不思議に思われていることでしょうし。








※自分の考えですあまり当てにしないでね。

①風子の生きていく力(?)みたいのが徐々に弱まってきて、関係の薄い人たちから忘れていくのかなぁ~と思った。

まぁkeyらしいとこなんだよね、そこが。



②出たいけど出れない・・・みたいな心境だったのでは?



③まぁすべて引っかかるけど、現実的に考えすぎです(笑

わからなくもないけど、一応二次元の世界ですから。







自分は地上波でやってたとき、学生編は飛ばし飛ばしで適当に視てました。最終回も視てません。

DVD8巻に入っているスピンオフの智代編が自分は気に入って、以後アフターを見続けています。



アフターの第9話以降の展開が好きですが、学生編は今でも別に好きじゃないですね。

学生編が好きでも今のアフターの展開は気に入らないて人もいます。その反対もいます。

アニメ自体駄目だゲームが最高、て人もいます。



まあ、気に入らなけりゃしょうがない(笑)。グレンラガンも自分にはそうだし。







1について

あくまで自分なりの解釈でしかないですが、恐らくあるべき現実へと戻されていったためではないでしょうか。

風子がどうしてあんな状態になったのかははっきりとはしていませんが、それは明らかに矛盾した状態でした。

ですが、本当の風子ではないと疑いながらもしっかりとは確かめない朋也や、なんであれ風子は風子であると、その矛盾を特に気に留めない渚のように、その矛盾はなんだかんだでうやむやなままだったので、その時は問題なかったのでしょう。

しかし、「本当の風子」を知っている公子に風子の姿が見えなかった事で、その矛盾がはっきりとしてしまいました。



明確になってしまった以上、このまま矛盾した状態を継続させるのは難しい。しかし、突然それをなかった事にするのも難しい。ならば、徐々につじつまを合わせるしかない。

まぁそんな所じゃないでしょうか。これだと、風子をあのような状態にした「何か」がいる事になりますけどね。



2について

これについてはアニメ化に合わせてシナリオが結構変わっていたっぽいので、なんとも。

原作のことみルートをやってみれば、また違う・・・かも?



3について

製作側の意図とか気になりだしたら、とりあえず止めといた方がいいんじゃないでしょうか。

昔はもっと素直にアニメを見られたのになぁ、とたまに思う自分がいます。成長すると余計な事を考えちゃうんですよね・・・。

もっとも、余計な事を考える暇を与えないようなアニメというのも減っているとは思いますが。







その1 風子編

PCゲーム版(原作)の製作スタッフがそういう感性なので、「それはそうか」と受け取ってください、理論で考えても答えは出ません。

前々作のKanonの月宮あゆ、前々々作のONE~輝く季節へ~の折原浩平と状況は違えど似たような設定です。ONEなんかもっとツッコミどころ満載ですし。



(ONE~輝く季節へ~、Kanonの脚本:麻枝准、久弥直樹/ CLANNADのストーリー:麻枝准、涼元悠一、魁)







1も2も吹っ飛ばして、3からお答えしましょう。



見る価値はないと思います。

この先もず~~~~~っとこの手の展開ばっかりです。とくに終盤はそんな感じ。

CLANNADは理路整然とした物語ではなく、セカイ系(最終兵器彼女とかエヴァとか)のニュアンスが多分に含まれています。

なので、1や2の質問の内容に関しては「特に理由があってそうなったんじゃないんじゃね?」ぐらいに答えるしかないともいます。

ただ演出として、そっちのほうが感動的(?)でしょ、と。そんなパターンなのです。



もっとも、ギャルゲーのすべてがすべて、このパターンで埋め尽くされているわけではないので、その点はご理解いただけるとありがたいです。







その1,2に関してはそこまで深くわかりませんので、

その3のみの回答ですみませんが、「見なくてもいい」かと・・・。

多分ここまで合わないなら、今後も似たような感じなので合わないと思います。

全てが泣かせる為の演出に見えてしまうのではないでしょうか。



ちなみに現在放送中のアフターストーリーを含めるとまだ、ことみ編が終わったところなら3分の1らへんです。

アフター最終回までの残り3分の2をこの調子で見るのは時間の無駄ではないですか?

CLANNAD好きな人も多いので、価値がない作品ではないと思いますが…私もそこまで「お勧めできる!」ってほど好きではないです。



原作もプレイした私個人の意見としては、同じく前半(アニメのクラナド無印)より、アフターのヒロインが死んでからの方が、家族愛を感じれて面白い。

アニメはちょうどヒロインが死んだところです。

ですので私の中で見る価値あるかないかは今後の展開によります。







えーと、あんまり深くCLANNADを見ていないので③だけお答えします。



僕は逆にグレンラガンは「ほら、こういうのどう?熱いでしょ?泣けるでしょ?」っていう「熱さの押し売り」な気がしたので途中で切りました。

多分グレンラガンで泣く人と、CLANNADで泣く人は感動のベクトル?が違うんだと思います。

まぁもちろん両方で泣ける人もいると思いますけど。



どんなアニメでも制作側の意図やわずかな矛盾点が気になるようになり始めたら楽しめないと思います。

なのでここできっぱり切って、熱いロボアニメを見ることをおすすめします。

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